女の帰省の話

年末年始、2年ぶりに帰省した。

もう少し長くいられないのかと言っていた母には申し訳ないが実家には2泊3日くらいが自分としてはちょうど良い。

 

今の私の体型は痩せてもおらずそこまで太っていない(ちょっとだけ太っている)標準的なレベルだと思うのだが、親族が集まるとだいたい「いまぐらいがちょうどいい。すごい太ってた時期もあった」だとか「結婚式の時は痩せすぎだった。それでも顔はまん丸だった」だとか十数年も遡って言及されるのにいつもうんざりする(たぶん過去と比べて今を褒めているつもり)。アラサーも過ぎた今でもまだ言われるのだから人の見た目に対する興味がすごい。帰省が短かければこういった機会も少なくて済むのだ。

どこかのタイミングで「もうその話はほんまに嫌」と切り出したい気持ちもあるが、もう両親含めた親族も、なんなら私も若くはないしそもそも年に数回しか会わないことを考えると、コストと見合わないかもしれない。

 

そして年に数回しか会わない(会えない)こと自体も責められているように感じて帰省のたびに正直しんどい。

親族の中で地元から遠く離れたのは私だけで、他の親戚はほぼみんな近所と言える範囲に住んでいるので後ろめたさが半端ない。地元に残っている友人の話が出てくると親が「親孝行やな〜」と言うのもしんどい。「勘弁してくれよ」と「その通りだな申し訳ない」のどちらが正直な気持ちか、自分でもわからないのだ。

短い帰省は、孫と会えない親の不満が爆発する前のガス抜きをしているような感覚なのだが、会う度に少しずつそのガスに当てられはする。しかしガスは抜いておかないと後が怖い(しかもコロナ禍でガス溜まりがち)。もし私が男だったらこんなに求められることはなかったのかもしれないと思うともう全て投げ出したくもなる。

 

とにかく金と時間をかけて傷つきに行く必要があるのだろうかと思ってしまう。ただ、あと何回会えるかわからない祖父や祖母、まだ元気だが高齢者と呼ばれる年齢になった両親に会っておきたい、喜んでもらいたい気持ちがないわけではないのだ。自分の心身の健康を優先したい気持ちとセンチメンタルの間で葛藤する。

 

それでも久しぶりの従兄弟たちと話したりその子供たちの成長が見れるのは純粋に楽しい。

私が実家にいた頃は赤ちゃんだった子供たちが今ではほとんど中学生以上になっていて、部活は何をやっている、誰々は水泳が得意、誰々は勉強が得意、この前テストで何点だった、漢字だけ間違えちゃった、など子供たちがそれぞれ頑張っている様子を聞くだけでニコニコしてしまう。

今回の帰省では、次の春高校生になる従姉妹の娘が、進路について私に話を聞きたいと訪ねてきてくれたのが特別嬉しかった。

私が中高生のとき、進学校に入り受験勉強をしている親類はほとんどいなかった(女子は特に)。私が卒業した進学校に通う彼女も、周りに相談相手がいないからと私に会いたがってくれていたらしい。

彼女の母はとにかく自宅から通える大学に進学してほしい、遠くに行ったとしても関西内、自分の知り合いのいる範囲で、とかなり娘を縛り付けている様子だった。彼女自身もそれを不満に思ったりはしていなさそうだったし従姉妹の怒りを買うのは本意ではない。できるだけ控えめに、とにかく自分の好きなことをやればいい、今ぼんやりとでも将来の夢があるのならそれを断つような選択は絶対にしないほうがいいと伝えた。ほんの少しだが、決断の後押しができたようだった。

自分と似た環境にいて、そこから飛び立とうとしている若い女の子の背中を押すことができるのは嬉しい。もし今後彼女が母親とバトルすることになったらその時は親族全員に白い目で見られようが全力で協力したい。海外の大学にでも行けばいい。

 

私は仲間が欲しいのだ。自分本意な話だが、彼女にもこちら側に来て欲しい。田舎から一人離れた女の戦いは長く孤独だ。この地味でセンチメンタルな地獄を一緒に生き抜く仲間ができたら嬉しい。

 

ZOMBIE-CHANGの「愛のせいで」、ホームビデオの映像もあいまって感傷が爆発する。

私は薄情な娘だがそう振り切ることもできない。今年は2,3回帰ることになるだろう。