子どもはとっくに4歳になっている
どちらかというともう5歳の誕生日の方が近くなってしまった。
相変わらず鉄道が好きだが、最近は宇宙にも興味を持ち出した。
視覚優位(視覚から情報をインプットするのが得意)の特性を活かそうということで夫がなんとなく風呂に学習系のポスターを貼ったら、太陽系に興味を持っていつの間にかしっかり太陽から近い順に惑星を覚えていた。
子によると水星は太陽から近いから”あつ惑星”、海王星は太陽から遠いから”さむ惑星”らしい。
「金星は地球とおなじ大きさなんだよ」とも言っていた。
「金星は地球より少しだけ小さいみたいだよ」と伝えると、
「違うよ!だって、”ほぼ同じ”って書いてたよ!」と、怒って受け入れてくれなかった。(ほぼ、という言葉に初めて出会ったのかもしれない)
こういう時は少し時間が経つと情報が素直にインプットされて修正された形で出てくるので、それを待つ。この間も「1/3」を「いちぶんのさん」と読んでしばらく譲らなかったのだが、数日経つとしっかり「さんぶんのいち」と読んでいた。
子供の頃、大人に指摘された間違いをどうしても信じられなくて、自分ルールを無理に貫き通し後から間違いに気づいて赤面していた自分のことが思い出されて奇声を上げそうになる。私も人から何かを教わるのが苦手な子供だったということだ。
風呂に貼った日本地図を見せて、世界地図を見せて、太陽系の絵を見せて、「日本は世界の一部だよ」「地球は宇宙の一部だよ」となんとか説明しようとするが、今は子供独自のルールで世界の成り立ちを理解しているためかまだ全ては受け入れられないようだ。
それでいいと思う時もあるし、修正したくなる時もある。指摘したいことを口に出すのか出さないのか、最近の我が家の子育てでは毎日ほぼそれだけが問題な気もしてきている。
子の頭の中にある独自のルールや理屈をもっと理解したいし、言葉にして教えてほしいけれど、大人の私は知ってしまうと直したくなってしまうだろう。今は言葉で表現できないもの、世の中の理屈に則していないものたちが子の頭の中でグルグル渦巻いているのだと思うとそれも尊いものに感じる。
先週くらいの夜のこと、暗くした部屋の中でもう寝ただろうと思っていた子から唐突に話しかけられた。
「ねえ!……にせんにじゅうじゅうねん、はないよね?」
「……そうだね。にせんさんじゅうねん、かな。」
「ねえ……にせんにじゅうきゅうねんの、つぎ?」
「そうだよ。2029年の次が2030年。」
「……そうだよねえ。」
疑問が解消してスッキリしたのか、知っていた風に返事をした子は1分も経たないうちに寝息を立てていた。
年明けに受けた発達検査とその診断で、子の発達指数はいわゆる境界域にあり、小学校の勉強について行くのが難しいかもしれない、と医師が言っていた。
私はこの子がすごく賢いと思っていたのに、なんて思ってしまっていたけれど、私はこの子がすごく賢いと思ったままでいいのだと、この会話の後に理解できた気がした。