子どもが3歳になった

6月に子が3歳の誕生日を迎えた。現在3歳と5ヶ月。

 

鉄道はまだまだ好きで、ここ最近は電車の絵柄の靴下を毎日履いている。

からだも随分と大きくなり、ガッシリしていて表情も力強くなった。

スーパーで買い物をしていると、自分がこうやって適当に用意した食事で子はここまで大きくなったのか、と不思議な気持ちになることもある。

 

3歳になった記念のこの文章を書こう書こうと思いながら長い間腰が上がらなかったのは、子と自分の今の状態を整理するまでに時間がかかったからだ。

 

夏頃、子が通う保育園から、療育センターへの相談を勧められた。

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こだわりが強く、気持ちの切り替えが苦手で集団行動ができなかったり、思い通りに行かないとき他の園児に手が出てしまったりするらしかった。

 

それは私と夫にとっても全く意外な話ではなかった。

同じ言葉を繰り返したり、会話の中身が絵本やテレビのセリフを真似するものがほとんどだったり。

「気持ちの切り替えが苦手」というのも、登園・帰宅・手洗い・風呂・就寝など日常生活の様々なイベントに時間がかかっていたためすぐに納得できた。

日々疲弊しながらうまく行く時もあったりなかったり、一喜一憂していた。自分の中の”発達を疑うべきなのか”チェックリストにチェックが入ったり消えたりを繰り返していた。

 

ついに向き合う時がきた、ということで勇気を振り絞り療育センターに電話をし、発達検査から診断までを受けることになった。

(療育センター自体気軽に相談していいところだというのは説明してもらっていたので電話に勇気がいったのは私の偏見によるところが大きい、ということは書いておきたい。)

診断が出るまで4-5回ほど通う必要があり、それぞれ間が1ヶ月ほどあくので、今もまだ診断を受ける手前の段階だ。

 

初めて園で療育センターのチラシを渡された時、少なからずショックを受けた。自分がショックを受けたこともショックで、しばらく同じところをぐるぐる回っている気分だった。

 

(いろんなことができるようになってきたし、きっと大丈夫。……いや大丈夫じゃないかも。いや、大丈夫とか大丈夫じゃないってそもそも何)

(何を不安に感じているのか。子の幸せを考えて?自分の理想通りに成長しなさそうだから?糞食らえだな)

(子に向けられる冷たい視線を想像してしまう。それはきっと今まで私が誰かに向けてきた視線だ)

(このまま親子で家にこもっていれば悩むこともないのに……いやその考えは危険だ)

 

不安になっては、不安になったことに更に落ち込み、を繰り返してしまう。

自分の中にある偏見、能力至上主義が炙り出されたようで、喉の奥がキュッとなる。

センターで心理士さんに質問はないかと聞かれ、言葉を探しながら、「ああ自分は今『大したことはない』『平均的な範疇』と言ってほしいだけだ」と気付いたりする。

 

私はもっと、子のためになることを軽快に選択していきたい。

少なくとも「自分にふりかかった悲劇」のように振る舞うべきではない。もし自分の持つ特性で親が深く悩んでいたら、私だったら「ほっといてくれよ」と思うだろう。

(本当はこんなブログを書いていてはいけないのかもしれない。)

今もまだ落ち込んでしまうことはあるが、数ヶ月考え続けて「私は軽快でいたい」という気持ちに落ち着くまでの時間がやっと短くなってきた。

 

こうやって34歳がモヤモヤモタモタしている間にも3歳はどんどん成長していく。そのことに毎日驚きと喜びを感じ救われる。

話す言葉の多くがテレビの真似か「この場面でこれを言う」といった定形文ではあるのだが、それでも予想外に自分の言葉を発することがあり、そんな時は涙が滲むほど嬉しい。

園からの帰り道「ままー、がんばってー。さかみちがんばってー。」と自転車の後ろのシートから小さく声をかけてくれたことがあった。私は近所迷惑なくらい大声で「えええ!!!!嬉しい!!!!頑張るよ!!!!」と応え思い切りペダルを漕いだ。

コミュニケーションに不安がある中、「お友達と”いないいないばあ”をして笑い合っていました」という園からの連絡ノートの何気ない一言が嬉しくてたまらなかった。

子の世界が広がっている実感が持てた時、周りと比べてではなく子の存在そのものが輝いて見えるし、その輝きに目を向けていればそれでいいのだと身に沁みてわかる。

 

子には得意なこともあり、3歳手前で数字、アルファベット、ひらがな、カタカナをほぼ全て読めるようになった。パズルが好きで、ピースが白い日本地図のパズルをすごい集中力で1人で完成させていた。

得意なことを好きなだけやるその足を引っ張らないようにしたいとつくづく思う。

またそれとは別の問題として「人間には他人と比べて得意なことなんてなくてもいい」ということを私自身が時間をかけて理解していく必要があるだろう。

 

 

最後に、少し前に見ていたドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」の話をどうしても書きたい。(中盤のネタバレを含むのでこれから見る予定のある方はここから先を読まない方がいいです。特に見る予定ない方は読んでいただいて、気になったらぜひ見てください。Netflixでもプライムビデオでも見れます)

 

 

 

www.ktv.jp

 

 

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B092C5D7JR/ref=atv_dp_share_cu_r

 

https://www.netflix.com/jp/title/81444722

 

 

 

物語の中盤、主人公大豆田とわ子は、ある意味家族より近しい存在であったひとりの友人を突然亡くす。それから1年後、普通の生活を続けながらも強い喪失感から立ち直れずにいるとわ子の前に突然現れる"第四の男"小鳥遊(オダギリジョー)。出会ったばかりの彼に不思議と心を開いたとわ子が、初めて友人の死について語るシーンで小鳥遊はこんな話をする。

 

「過去とか未来とか現在とかそういうのって、どっかの誰かが勝手に決めたものだと思うんです。時間って別に過ぎていくものじゃなくて。……場所、っていうか……別のところにあるものだと思うんです。

人間は現在だけを生きてるんじゃない。5歳10歳20歳30、40……そのときそのときを、人は懸命に生きてて。それは別に過ぎ去ってしまったものなんかじゃなくて。

だから、あなたが笑ってる彼女を見たことがあるなら、彼女は今も笑ってるし。

5歳のあなたと、5歳の彼女は今も手を繋いでいて。

今からだって、いつだって気持ちを伝えることができる。」

 

身振り手振りを交えてゆっくりと語られるこの台詞を聞いて、私もとわ子と同じようにポロポロと泣いた。とわ子が、今目の前でどれだけこの言葉に救われているか、手に取るようにわかる気がした。

 

今起きていることを忘れてしまうのは子供に限らず大人の私たちだってそうで、できるだけ取りこぼすまいとして写真や動画にも収めるけれど、感触や匂い、その感覚全てを保持しておくことはできない。そしていつかは何も持たずに消えてしまう。そのことが時々辛くなる。

でも小鳥遊の言葉を素直に受け入れるならば、私はいつでも生まれたての子を抱くことができる。

子が中年になっても私がお婆さんになっても、3歳の子と34歳の私は手を繋いでいるし、覚えたての言葉で「いっしょにねよう?」と誘ってくれる子も、寝顔のあまりの可愛さに競うように子の頬に吸いつく私と夫も、その一瞬が過ぎたからといって失われたりはしないということだ。

時間の経過そのものに自分が抱いていた悲観が少し軽くなった。この台詞に出会えたのは自分の人生にとってラッキーなことだったと思う。ありがとう「大豆田とわ子と三人の元夫」。

 

というわけで、今は安心して3歳の子の可愛さを享受し、軽快に道を選んでいきたいと思っている。

しばらくの間、テーマは「軽快」で。

 

けいかい

【軽快】

 
  1. 1.
    《ダナ》
    みがるで、すばやいさま。
     「―な動作」
     
  2. 2.
    《ダナ》
    心がはずむような、軽い感じであること。
     「―な音楽」