女の帰省の話

年末年始、2年ぶりに帰省した。

もう少し長くいられないのかと言っていた母には申し訳ないが実家には2泊3日くらいが自分としてはちょうど良い。

 

今の私の体型は痩せてもおらずそこまで太っていない(ちょっとだけ太っている)標準的なレベルだと思うのだが、親族が集まるとだいたい「いまぐらいがちょうどいい。すごい太ってた時期もあった」だとか「結婚式の時は痩せすぎだった。それでも顔はまん丸だった」だとか十数年も遡って言及されるのにいつもうんざりする(たぶん過去と比べて今を褒めているつもり)。アラサーも過ぎた今でもまだ言われるのだから人の見た目に対する興味がすごい。帰省が短かければこういった機会も少なくて済むのだ。

どこかのタイミングで「もうその話はほんまに嫌」と切り出したい気持ちもあるが、もう両親含めた親族も、なんなら私も若くはないしそもそも年に数回しか会わないことを考えると、コストと見合わないかもしれない。

 

そして年に数回しか会わない(会えない)こと自体も責められているように感じて帰省のたびに正直しんどい。

親族の中で地元から遠く離れたのは私だけで、他の親戚はほぼみんな近所と言える範囲に住んでいるので後ろめたさが半端ない。地元に残っている友人の話が出てくると親が「親孝行やな〜」と言うのもしんどい。「勘弁してくれよ」と「その通りだな申し訳ない」のどちらが正直な気持ちか、自分でもわからないのだ。

短い帰省は、孫と会えない親の不満が爆発する前のガス抜きをしているような感覚なのだが、会う度に少しずつそのガスに当てられはする。しかしガスは抜いておかないと後が怖い(しかもコロナ禍でガス溜まりがち)。もし私が男だったらこんなに求められることはなかったのかもしれないと思うともう全て投げ出したくもなる。

 

とにかく金と時間をかけて傷つきに行く必要があるのだろうかと思ってしまう。ただ、あと何回会えるかわからない祖父や祖母、まだ元気だが高齢者と呼ばれる年齢になった両親に会っておきたい、喜んでもらいたい気持ちがないわけではないのだ。自分の心身の健康を優先したい気持ちとセンチメンタルの間で葛藤する。

 

それでも久しぶりの従兄弟たちと話したりその子供たちの成長が見れるのは純粋に楽しい。

私が実家にいた頃は赤ちゃんだった子供たちが今ではほとんど中学生以上になっていて、部活は何をやっている、誰々は水泳が得意、誰々は勉強が得意、この前テストで何点だった、漢字だけ間違えちゃった、など子供たちがそれぞれ頑張っている様子を聞くだけでニコニコしてしまう。

今回の帰省では、次の春高校生になる従姉妹の娘が、進路について私に話を聞きたいと訪ねてきてくれたのが特別嬉しかった。

私が中高生のとき、進学校に入り受験勉強をしている親類はほとんどいなかった(女子は特に)。私が卒業した進学校に通う彼女も、周りに相談相手がいないからと私に会いたがってくれていたらしい。

彼女の母はとにかく自宅から通える大学に進学してほしい、遠くに行ったとしても関西内、自分の知り合いのいる範囲で、とかなり娘を縛り付けている様子だった。彼女自身もそれを不満に思ったりはしていなさそうだったし従姉妹の怒りを買うのは本意ではない。できるだけ控えめに、とにかく自分の好きなことをやればいい、今ぼんやりとでも将来の夢があるのならそれを断つような選択は絶対にしないほうがいいと伝えた。ほんの少しだが、決断の後押しができたようだった。

自分と似た環境にいて、そこから飛び立とうとしている若い女の子の背中を押すことができるのは嬉しい。もし今後彼女が母親とバトルすることになったらその時は親族全員に白い目で見られようが全力で協力したい。海外の大学にでも行けばいい。

 

私は仲間が欲しいのだ。自分本意な話だが、彼女にもこちら側に来て欲しい。田舎から一人離れた女の戦いは長く孤独だ。この地味でセンチメンタルな地獄を一緒に生き抜く仲間ができたら嬉しい。

 

ZOMBIE-CHANGの「愛のせいで」、ホームビデオの映像もあいまって感傷が爆発する。

私は薄情な娘だがそう振り切ることもできない。今年は2,3回帰ることになるだろう。

買ってよかったもの 概ね2021

2021年を楽しく振り返る意味も込めて買ってよかったものをまとめます。

まだまだ新しいと思ってるものが去年買ったものだったり実は2,3年前からあるものだったりするけど、今も新鮮な気持ちでいいなと思えるものは"買ってよかったもの2021"とさせていただきたい。

半分くらいコスメ。

 

 

nahrin ハーブオイル33+7

www.nahrin.jp

肌に塗るタイプのいい香りのオイル。気が滅入りがちな在宅ワークの必需品。外出先でも常に持ち歩いて、何か疲れたな〜肩凝ったな〜って時に塗っている。

スーっとして気持ちいいのでこめかみ、肩、首筋、頭皮に塗りたくってマッサージしている。いつの間にか歯を噛みしめてて凝りまくっている顎にも良い。ハーブ系の超マイルドなアンメルツって感じ。

偏頭痛に効くという話もあるけど個人的にははっきりとした効果は感じられず。でも香りとスーッと感で確実に気は紛れる。頭痛来そうだな?と思った時にこめかみや後頭部に塗ってマッサージすると血行が改善されていい気がする。男性にもおすすめ。

※妊娠中・授乳中は肌に直接塗ってはいけないとのこと。

 

WELEDA ローズマリースカルプクレンジング

www.weleda.jp

友人たちにおすすめしまくっているのでもううるさいと思われているかもしれない。

濡れた髪と頭皮に塗りたくって何分かおき、洗い流すやつ。これでシャンプーとトリートメントが完了する。頭皮がめちゃくちゃすっきりする。

私はこれを塗ったあとukaのスカルプブラシでゴリゴリ頭皮をマッサージしてる。(uka scalp brush kenzan | uka公式オンラインストア ukakau)乾かしたあとのサラサラの仕上がりもクセになる。

夏場はバズっていてなかなか手に入らなかったけど今は買えそう。スースー系なので塗って待ってる間頭が寒く感じるかもしれないけど、そこは湯船にでもつかっといてもろて。冬も頭皮の匂いが気になる人はぜひ試してみて欲しい。これも男性にもおすすめ。

 

ミルボン エルジューダ ブリーチケアセラム

salon.milbon.co.jp

全頭ブリーチしてる友人から勧められて買った、ドライヤーの前につけるやつ。

オイルっぽいテクスチャで、つけた瞬間ブリーチ毛がしっとりするのがわかる。伸びもすごい。乾かしたあとの仕上がりも重すぎなくてよい。広がりにくく、寝癖もつきにくくなったので朝が少し楽になった。

少量でもかなりの範囲に行き渡るので全然減らない。ドラストで買えるやつよりは高いけどコスパは悪くない気がする。

別の友人もミルボンのヘアミルクがマジで良いといってたのでブリーチケアライン以外のものも間違いなさそう。

 

デコルテ モイスチュア リポソーム

www.decorte.com

気になっていた美容液、リニューアルして見た目もカッコよくなったのを機に買ってみた。高価だけど思い切ってよかった……。

化粧水の前につけるいわゆるブースター美容液。子供と一緒にお風呂から出なきゃいけない時は一旦これをつけておいて全てのスキンケアを後回しにする。

主要な美容雑誌のベスコスを総舐めしてて、逆に何か大きな力が働いてないか?と思ったりもするけど評価する人の数が多いのも納得できる、安定感のある使い心地。(私が買った美容雑誌マキアでは美容家の石井美保さんが「新たな伝説が生まれた」とコメントしてた)

 

コーセー インフィニティ モーニングリニュー

www.kose.co.jp

朝の洗顔をどうするかについて割と常に悩んでいて、いろいろ試したけど今のところこれに落ち着いてる。美容系ライター長田杏奈さんのポッドキャスト「なんかなんかコスメ」で知りました。

open.spotify.com

ポッドキャストと同じ商品が文章で紹介されてるのはこちら↓

osadanna.theletter.jp

”ツヤ足し洗顔”というだけあって潤いがある程度顔に残る。でもクレンジングの後みたいなもう一度洗いたくなるような残り方ではないので「さっぱり洗いたい派だけど落としすぎは良くないと人はいう……」と悩んでいた私にちょうどよかった。値段もそこまで高くない。

あとこれ、泡立てず顔も濡らさずそのまま顔に塗りたくって流すタイプなんだけど、最初の2ステップないだけで朝に顔を洗うハードルがすごい下がる。売れに売れてるらしいので朝使う洗顔料が定まってない人は一度試してみて欲しい。

 

アルビオン デューイスキンクリエイター

www.albion.co.jp

メイク下地。少し肌が補正されるので普段はこれとフェイスパウダーだけつけている。日焼け止め効果も若干ある(SPF27・PA+++)ので秋冬の日焼け止めはこれだけでよかろうと思う。

トーンアップ効果もちょうどいい塩梅で白浮きしない。夕方まで潤ってる感じもある。

ファンデーションを塗らなければメイクは崩れないっていうのが最近の気付き……。

 

ADDICTION アイブロウペンシル

www.addiction-beauty.com

弊眉毛は2000年代の形をしているので、2020年代にチューニングしようとすると毛のない部分にたくさん毛を描く必要がある。

そしてパウダー期、ティント期を経てなんだかんだペンシルに戻ってきた2021。色々試したけど一番毛のない部分に毛を描きやすい硬さ。”毛”を描くにはある程度のカリッと感が必要なので。

あと地味に、ペン自体に少し重みがあり持ちやすかった。これはプチプラにはない重みだ。

 

パルシステム わが家の常備菜セット

information.pal-system.co.jp

いきなり食べ物の話。パルシステムを導入してもう2年ほど経つ気がするけど、今年(?)発見して毎週購入し始めたやつ。

夕飯ってとにかく献立を考えるのがめんどくさい。献立と材料さえあれば作るのはまあ頑張れる。とにかくレシピを決めて欲しいし材料も冷蔵庫に入ってて欲しい。

パルシステムには材料カット済みのお料理セットがあり毎週購入しているのだが(お料理セット | パルシステム東京の商品)消費期限が短いのでだいたい2セットしか買えず、1週間のうち2日分の夕飯しかしのげない。

常備菜セットは、材料はカットされずそのままだけどその分消費期限が長い。セットの材料を使い切れる5品分のレシピがついてきて、うち2品は肉や魚の入ったメインディッシュになる料理なので、これとお料理セット×2で1週間のうち4日分の夕飯主食が確保される。ありがたい……あと3日は冷凍餃子とか外食中食でなんとかしてます。

パルシステム入会者しか買えないものを載せてしまったが料理担当者の参考になれば幸い……各家庭の料理担当者の皆様、毎日の工夫(苦労)があれば教えてください。

 

辛味調味料 かんずり

https://kanzuri.com

かんずりの会社のサイト、kanzuriドットコムだ……)

辛くておいしい!デイリーポータルZの記事を見て知りました。

dailyportalz.jp

普通にスーパーで買った気がする。餃子はもちろんそうめんの薬味として夏に消費しまくった。柔らかく調理した鶏ムネ肉につけても美味しい。何に付けても美味しい。柚子胡椒の唐辛子バージョンって感じ。

 

カゴメトマトジュース

www.kagome.co.jp

食塩無添加のトマトジュース。200mlのパックをケースで買ってストックしている。

なんとなく水とかお茶じゃなくて味のついたものゴクゴク飲みたい時ありません?子供用に買った野菜ジュースとかを飲むんだけど別に糖分を取りたいわけではないし子供にも自分の身体にも後ろめたい。

そんな時ためしにスーパーで目に入ったトマトジュースを飲んでみたら美味しかったのでこれでええやんとなり、毎日一本飲んでます。30過ぎたらビタミンC大事だ〜。

 

 

象印 スチーム式加湿器

www.zojirushi.co.jp

これは私というか家電選定好きな夫が見つけたやつ。

実は去年別の超音波式加湿器を購入済みだったのだが、毎日中身を洗わないとすぐ酸っぱい匂いがしてくるので正直めんどくさかった。

その時も象印の加湿器は売ってたし、スチーム式が一番メンテが楽で清潔だとは理解しつつも、そのあまりにもポット然とした見た目がどうしても気に入らず見た目で超音波式加湿器を買ってしまったのだった。

そしたらなんと今年カラバリが増えてグレーが出ているではありませんか。色がグレーになっただけでかっこよく感じる。超音波式加湿器まだ新しいし迷ったけど買いました。

わかってたけどメンテの楽さにびっくり。絶対臭くならないし安心感が違う。しかも蒸気はアツアツじゃなくて60度くらいまで温度を下げたやつが出てくるので子供がいてもまあ使える。私たちが愚かだった。ありがとう象印

 

防災備蓄セットbibo

www.bibo.tokyo

年始あたりに思い立って防災セットの購入を検討していた時、いろんな人が「もうセットになってるやつを買うのがなんだかんだ楽でいい!」と教えてくれた。それからセット商品を色々探しているうちに出会ったのがこれ。

持ち出し用カバンはついてないけど水や食料が充実してて備蓄としても安心。ちょっと可愛い箱に入ってるので見えるところにドンと置いておける。今デスクの下にある。

f:id:mycmycmyc:20211215174121j:plain

f:id:mycmycmyc:20211215174149j:plain

大きな段ボールの中に小さめの箱が3つ入ってて、1つは共用箱、2つは男性用・女性用・シニア用・キッズ用から選べる。女性用には生理用品も!食品系の消費期限をまとめて紙に印刷してくれてるのも地味に嬉しかった。

隙間に下着を詰めたりして自分なりに足りないものを追加したけど、持ち出すには重いから持ち出し用のセットも買おうかな。

 

SCRAP 5分間リアル脱出ゲーム

scrapshuppan.com

以前友人にSCRAPのリアル脱出ゲームに連れて行ってもらったのがとても楽しくて、少人数で参加できるものや家で解けるやつをちょくちょくやってる。

これは比較的短時間で解ける(5分では解けない)謎解きが10本セットになってる本。子供の寝かしつけが終わったあと夫と解くのにちょうど良かった。1〜2人でやるのがおすすめ。

このシリーズは何作か出ていてほぼ全部やってしまったんだけど、どういう作りか知らなかっただけに1作目がいちばん感動した!解けた時に気持ちいいちょうど良い難易度で、ヒントも段階的に用意されているので謎解き初めての人にも良さそう。

SCRAPの謎解きはクライマックスでいろんなとこに隠れてた謎を回収し始めてなんだか怖くなってくるのが好き。

 

謎解きアプリ「警察ミモ」

www.scrapmagazine.com

警察ミモ

警察ミモ

  • Beijing Unifly Culture Innovation Co., Ltd
  • ゲーム
  • ¥370

apps.apple.com

これもSCRAP関連だけど……中国の謎解きゲームアプリ。「SCRAP World Selection」としてSCRAPが紹介しててヒントサイトもこしらえてくれてる。

見た目はチープかもだけどとにかくギミックがすごくて、こんなことまでさせるの!?ってことをさせてくる。370円の元は確実に取れると思う。

ちなみに私はまだトゥルーエンドにたどり着いていない……気がする。ハッピーエンドを諦めない。

ストーリー性のある謎解きすきなので似たようなゲームあったら教えて欲しいです。

 

 

以上でした!来年も積極的に自分を楽しませていきましょうね。

子どもが3歳になった

6月に子が3歳の誕生日を迎えた。現在3歳と5ヶ月。

 

鉄道はまだまだ好きで、ここ最近は電車の絵柄の靴下を毎日履いている。

からだも随分と大きくなり、ガッシリしていて表情も力強くなった。

スーパーで買い物をしていると、自分がこうやって適当に用意した食事で子はここまで大きくなったのか、と不思議な気持ちになることもある。

 

3歳になった記念のこの文章を書こう書こうと思いながら長い間腰が上がらなかったのは、子と自分の今の状態を整理するまでに時間がかかったからだ。

 

夏頃、子が通う保育園から、療育センターへの相談を勧められた。

h-navi.jp

こだわりが強く、気持ちの切り替えが苦手で集団行動ができなかったり、思い通りに行かないとき他の園児に手が出てしまったりするらしかった。

 

それは私と夫にとっても全く意外な話ではなかった。

同じ言葉を繰り返したり、会話の中身が絵本やテレビのセリフを真似するものがほとんどだったり。

「気持ちの切り替えが苦手」というのも、登園・帰宅・手洗い・風呂・就寝など日常生活の様々なイベントに時間がかかっていたためすぐに納得できた。

日々疲弊しながらうまく行く時もあったりなかったり、一喜一憂していた。自分の中の”発達を疑うべきなのか”チェックリストにチェックが入ったり消えたりを繰り返していた。

 

ついに向き合う時がきた、ということで勇気を振り絞り療育センターに電話をし、発達検査から診断までを受けることになった。

(療育センター自体気軽に相談していいところだというのは説明してもらっていたので電話に勇気がいったのは私の偏見によるところが大きい、ということは書いておきたい。)

診断が出るまで4-5回ほど通う必要があり、それぞれ間が1ヶ月ほどあくので、今もまだ診断を受ける手前の段階だ。

 

初めて園で療育センターのチラシを渡された時、少なからずショックを受けた。自分がショックを受けたこともショックで、しばらく同じところをぐるぐる回っている気分だった。

 

(いろんなことができるようになってきたし、きっと大丈夫。……いや大丈夫じゃないかも。いや、大丈夫とか大丈夫じゃないってそもそも何)

(何を不安に感じているのか。子の幸せを考えて?自分の理想通りに成長しなさそうだから?糞食らえだな)

(子に向けられる冷たい視線を想像してしまう。それはきっと今まで私が誰かに向けてきた視線だ)

(このまま親子で家にこもっていれば悩むこともないのに……いやその考えは危険だ)

 

不安になっては、不安になったことに更に落ち込み、を繰り返してしまう。

自分の中にある偏見、能力至上主義が炙り出されたようで、喉の奥がキュッとなる。

センターで心理士さんに質問はないかと聞かれ、言葉を探しながら、「ああ自分は今『大したことはない』『平均的な範疇』と言ってほしいだけだ」と気付いたりする。

 

私はもっと、子のためになることを軽快に選択していきたい。

少なくとも「自分にふりかかった悲劇」のように振る舞うべきではない。もし自分の持つ特性で親が深く悩んでいたら、私だったら「ほっといてくれよ」と思うだろう。

(本当はこんなブログを書いていてはいけないのかもしれない。)

今もまだ落ち込んでしまうことはあるが、数ヶ月考え続けて「私は軽快でいたい」という気持ちに落ち着くまでの時間がやっと短くなってきた。

 

こうやって34歳がモヤモヤモタモタしている間にも3歳はどんどん成長していく。そのことに毎日驚きと喜びを感じ救われる。

話す言葉の多くがテレビの真似か「この場面でこれを言う」といった定形文ではあるのだが、それでも予想外に自分の言葉を発することがあり、そんな時は涙が滲むほど嬉しい。

園からの帰り道「ままー、がんばってー。さかみちがんばってー。」と自転車の後ろのシートから小さく声をかけてくれたことがあった。私は近所迷惑なくらい大声で「えええ!!!!嬉しい!!!!頑張るよ!!!!」と応え思い切りペダルを漕いだ。

コミュニケーションに不安がある中、「お友達と”いないいないばあ”をして笑い合っていました」という園からの連絡ノートの何気ない一言が嬉しくてたまらなかった。

子の世界が広がっている実感が持てた時、周りと比べてではなく子の存在そのものが輝いて見えるし、その輝きに目を向けていればそれでいいのだと身に沁みてわかる。

 

子には得意なこともあり、3歳手前で数字、アルファベット、ひらがな、カタカナをほぼ全て読めるようになった。パズルが好きで、ピースが白い日本地図のパズルをすごい集中力で1人で完成させていた。

得意なことを好きなだけやるその足を引っ張らないようにしたいとつくづく思う。

またそれとは別の問題として「人間には他人と比べて得意なことなんてなくてもいい」ということを私自身が時間をかけて理解していく必要があるだろう。

 

 

最後に、少し前に見ていたドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」の話をどうしても書きたい。(中盤のネタバレを含むのでこれから見る予定のある方はここから先を読まない方がいいです。特に見る予定ない方は読んでいただいて、気になったらぜひ見てください。Netflixでもプライムビデオでも見れます)

 

 

 

www.ktv.jp

 

 

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B092C5D7JR/ref=atv_dp_share_cu_r

 

https://www.netflix.com/jp/title/81444722

 

 

 

物語の中盤、主人公大豆田とわ子は、ある意味家族より近しい存在であったひとりの友人を突然亡くす。それから1年後、普通の生活を続けながらも強い喪失感から立ち直れずにいるとわ子の前に突然現れる"第四の男"小鳥遊(オダギリジョー)。出会ったばかりの彼に不思議と心を開いたとわ子が、初めて友人の死について語るシーンで小鳥遊はこんな話をする。

 

「過去とか未来とか現在とかそういうのって、どっかの誰かが勝手に決めたものだと思うんです。時間って別に過ぎていくものじゃなくて。……場所、っていうか……別のところにあるものだと思うんです。

人間は現在だけを生きてるんじゃない。5歳10歳20歳30、40……そのときそのときを、人は懸命に生きてて。それは別に過ぎ去ってしまったものなんかじゃなくて。

だから、あなたが笑ってる彼女を見たことがあるなら、彼女は今も笑ってるし。

5歳のあなたと、5歳の彼女は今も手を繋いでいて。

今からだって、いつだって気持ちを伝えることができる。」

 

身振り手振りを交えてゆっくりと語られるこの台詞を聞いて、私もとわ子と同じようにポロポロと泣いた。とわ子が、今目の前でどれだけこの言葉に救われているか、手に取るようにわかる気がした。

 

今起きていることを忘れてしまうのは子供に限らず大人の私たちだってそうで、できるだけ取りこぼすまいとして写真や動画にも収めるけれど、感触や匂い、その感覚全てを保持しておくことはできない。そしていつかは何も持たずに消えてしまう。そのことが時々辛くなる。

でも小鳥遊の言葉を素直に受け入れるならば、私はいつでも生まれたての子を抱くことができる。

子が中年になっても私がお婆さんになっても、3歳の子と34歳の私は手を繋いでいるし、覚えたての言葉で「いっしょにねよう?」と誘ってくれる子も、寝顔のあまりの可愛さに競うように子の頬に吸いつく私と夫も、その一瞬が過ぎたからといって失われたりはしないということだ。

時間の経過そのものに自分が抱いていた悲観が少し軽くなった。この台詞に出会えたのは自分の人生にとってラッキーなことだったと思う。ありがとう「大豆田とわ子と三人の元夫」。

 

というわけで、今は安心して3歳の子の可愛さを享受し、軽快に道を選んでいきたいと思っている。

しばらくの間、テーマは「軽快」で。

 

けいかい

【軽快】

 
  1. 1.
    《ダナ》
    みがるで、すばやいさま。
     「―な動作」
     
  2. 2.
    《ダナ》
    心がはずむような、軽い感じであること。
     「―な音楽」

 

 

ブログ引っ越しました

これまで時々書いてきたブログのようなものをnoteからはてなブログに移してみました。

とりあえずペッと貼っつけただけですが……

この記事以降はリアルタイム(??)で書いたものです。

子どもが2歳になった

前回の投稿から1年以上が過ぎ、つまり息子は2歳になった。

2歳を過ぎた息子は、もしかして言葉を覚えるペースが比較的スローかな……と思わなくもないのだが、それでも少しずつ発語が増えてきて毎日のように私と夫を驚かせる。

電車や新幹線が好きなので鉄道関連の単語をしょっちゅう口にする。日常会話もままならないのに「はやぶさ」「こまち」「500系」「大阪環状線」等々、どんどん出てくる。こちらが知らない電車でも調べてみると息子が叫んだ音となんとなく一致する。

しかし言葉の成長で最も驚いたのは、「ありがとう(あっとう)」の後に「ママ」や「パパ」を付けるようになったことだ。「”ありがと”って言って」と私はよく言うので、息子にとっては『モノをもらった時に言うやつ』くらいの認識でその言葉は宙に向かって投げられているものと思っていた。それが、確実に私という対象に向かって投げられている。

”感謝”と言う概念を会得したうえで、それを伝えるために相手の名前を呼ぶ……いつの間にそんな高度なことができるようになったのか。「こういう概念が息子のなかに生まれたんだな」というのがわかるので言葉の発達は面白い。「人に感謝できるなんて天才なのかな」とも思う。

そして言葉の習得と同時に感情も豊かになってきて、親としては「そこで笑うんだ」「そこで泣くんだ」といちいち感心してしまう。

つい先日のことだが、公園で息子の好きな遊具に先客がおり近づけず、ただじーっと見つめていたので「我慢できるんだね」などと話しかけると静かに泣きはじめた、ということがあった。両手で目を擦って、まさに「しくしく」という感じで。

それはこれまでの涙とは明らかに異質なもので、唐突で予想外で、こちらも少し困惑してしまった。新幹線のYouTubeが見たい!とか、ごはんじゃなくておやつが食べたい!とかのいつものそれではなかった。悔しさなのか、切なさなのか、我慢が認められて安心したのか。

「息子が何をどう感じるかなんて手にとるようにわかる」くらいに思っていた(というか思ってしまっていたことに気づいた)のだが、もう全然、計り知れない。こちらでは想像がつかないほどいろいろな感情が息子の頭の中を駆け巡っているのだなと思うと切なく、より愛しく思った。

2歳の息子は、言葉と感情の獲得によって自他の境界をはっきりとさせていく、その過程にある気がする。子育てが始まった瞬間から子離れの準備を始めているような気持ちでいたが、やはり、まさにという感じだ。当然喜ばしいことだが。

一年後にはもうペラペラと言葉を話すのだろうか。(息子は既に存在しているのでこんな言い方は変かもしれないが)どんな性格の子だろう。優しいと嬉しいけど別に優しくなくてもいい。まだ新幹線は好きだろうか。

子どもが1歳になった

6月3日に息子が1歳になった。

怒涛のような一年だった、とでも書こうと思ったけれどそれもなんだかしっくりこない。たしかに新生児のときなんかは1日1日が大変だったのだけど、振り返ってみると赤ちゃんとの暮らしはかつて予想していたよりもずっと生活の一部として自然とそこにあった気がする。

私は出産前、子どもを産めば自分は「母親」という違う生き物になってしまうような気がして、それをすごく恐れていた。

「今までの自分の在り方や生活を捨て去って、子どものために全責任を負って生きる存在になるのだ。出産したその日から自分が死ぬまで。」と(そこまで言語化はしていなかったけれども)そういう風に感じて、必要以上に身構えていたように思う。

親になってみればなんのことはない、面白いほど私は私のままだった。食べることが好きで、服が好きで映画が好きで(育休の間にマーベル映画をアイアンマンから22作見て、ロッキーを5まで見て、イップマンを3作見た)、夫と日々の生活を楽しみ、たまにつるむ友人との関係も変わっていない。

しかし同時に決定的に変わってしまったものがあって、それは「息子という人間の存在を知ってしまった」ということに尽きると思う。

6月3日、まさに1歳の誕生日に息子は風邪を拗らせて入院した。幸い症状は重くなく、抗生剤が速やかに効いてくれたおかげで5日で退院できた。ただ、出産後初めて私は息子のいない夜を過ごした。

正直、何もする気にならなかった。何も食べたくない、眠れない。朝も体を起こせない。退院の目処がたつと少しは安心したが、それでもどこか落ち着かず仕事が手につかなかった。考えないようにしていてもつい息子のことが頭をよぎる。ちゃんと眠れているかな。ひとりで泣いていないかな。

今回のことで思い知ったのは、自分ひとりの時間を過ごしていても、息子がいなかった時の自分にはもう戻れないということだ。タイムマシンで息子が生まれる前の過去に戻ったとしてもそれはきっと同じで、ちゃんと眠れているかな、ひとりで泣いていないかな、と2019年の息子のことばかり考えてしまうだろう。

だから、私が何かに縛られているとすれば、それは自分自身の愛情みたいなものだ。そんなのはもうしょうがない。人と出会うということはそういうことだと思う。

息子がいる毎日は楽しい。楽しくて切ない。まるくてぱつんぱつんだった顔は少しシュッとして、少年のような顔つきになってきた。それが嬉しくもあり寂しくもある。不可逆な時間を生きていることを思い知らされる。ふわふわの頰の匂いを嗅がせてくれたり、肩に頭を預けて眠ってくれたりする今の時間はきっと宝物だ。一生の宝物をたくさんもらった一年だった。

そして私はこの一年、夫と協力して自分たちらしい生活を維持しながら、息子と楽しく過ごせたことを誇らしく思っている。今までの人生で最も誇らしい一年だったかもしれない。たとえばテレビを見せないとか、離乳食は全て手作りとか、世の中で言うところの立派な育児はできていないけど、「自分たちなりの育児」のちょうど良いラインを2人で探ることができた。(ずっとそのラインを探っている、探ることをやめない状態がいいのかもしれない)「私たち頑張ったね」と言えることが嬉しい。

息子はこれからきっとできることがぐんと増えていって、それに伴って私たち夫婦のタスクも増えて、今よりもっと忙しくなっていくのかもしれない。それでも来年の今頃また同じ感想を持てていればいいなと思う。

さてこれからの一年も頑張ろう、とまた肩に力が入りそうになるけど、「今日もかわいいね」を毎日積み重ねていければそれでいいのかもしれない。

無痛分娩で子どもを産んだ話

もう1年前の話になるけれど、私は所謂『無痛分娩』で第一子を出産した。

周囲に意外と無痛分娩経験者がおらず、一方で「産むなら無痛かな」「2人目は無痛かな」と言っている友人は結構多いので、遅くなってしまったけど覚えている範囲で書き残しておこうと思う。

--

私が出産した病院での無痛分娩は、自然に陣痛が発生してから硬膜外麻酔によって痛みを緩和する『和痛』分娩とも呼ばれるものだった。

同じ硬膜外麻酔による無痛分娩を考えている人に向けて伝えたい情報をまとめると
①麻酔の処置は痛くなかった(人にも病院にもよるだろうけど)
尿道カテーテルも私は痛みがなかった
③費用は出産手当金が数万円返ってくる程度で収まった(病院によるだろうけど)

ちょっと補足します。

①麻酔処置痛くなかった
みなさんが一番知りたいのはこれじゃないだろうか。私はそうでした。
痛みが怖くて無痛分娩にしているので麻酔の痛みも当然怖い。
恥じることはありません、過去の私。声を大にして言う、全然痛くなかった!

事前に局所麻酔を入れる際に、予防接種と同程度のチクリ感があるくらい。
途中神経を触っているようなズクズク感が少しだけあったけど「あっ」と声を上げたらすぐに局所麻酔を追加してくれて、直後その感覚もなくなった。施術後は背中からカテーテルが出ているのだがそれがベッドに当たっても特に痛くはなかった。産後なんて触ってもよくわからないくらいだった。

尿道カテーテルも痛くなかった
施術後丸一日くらい下半身が動かなくなるので、尿道カテーテルをいれて採尿してもらうのだが、これも麻酔が効いてるおかげか痛くなかった。尿道カテーテルも始めての経験なので麻酔同様相当びびっていた。
(個人的には重要な情報だと思っているのだけどこんなに色々怖がっていたのは私だけなのだろうか)

③費用は出産手当内で収まった
恥ずかしながら私は妊娠するまで知らなかったのだが自治体から出産費用として結構お金がもらえる。余った分は自分に返ってくる(後から手続きをする)。たしか麻酔をしてもらったのは夜中なので時間外料金なども加算されていたはずだが、結構手元に返ってきた。たぶん入院時の個室代が追加されていたらギリギリ返ってこなかっただろう。

(余談だが私は当時抗生剤の耐性菌を保菌していて院内で隔離される必要があったために選択の余地なく個室、そして追加料金はかからなかった)(あと食事は質素な病院だった)

--

以下無痛分娩振り返りです。

前述の通り自然に来る陣痛を待って、自分でタイミングを決めて麻酔を入れてもらうタイプの無痛分娩だったのだが、結局麻酔をしたのは陣痛が始まって丸一日経ってからだった。

長かった。拷問じみていた。陣痛の合間に助産師さんに優しい言葉をかけられては泣いていた。人類が絶滅しなかったの凄いな……と太古昔の出産シーンにボンヤリ思いを馳せたりしていた。

麻酔を入れるタイミングについて「もうちょっと我慢した方がいい」派と「いつでも入れたらいい」派の助産師さんがおり、その間で気持ちが揺れていたが、最終的に痛みで身体が震えだした頃に「あんまり我慢してたら無痛にした意味ないで」という助産師さんの言葉に深く頷き、ついに麻酔をお願いした。

家族は退室し、準備が始まった。座って背中を丸めた状態で施術するので、ベッドに腰掛け布団を丸めたものを抱きかかえた。陣痛に耐えながらやっとの思いで正しい体勢をとって、背中を丸出しにして、背骨を指で探られ、冷たい消毒液をビシャビシャつけられた。

施術直前、麻酔医さんが緊張に身体をこわばらせる私の肩に手を置いて「僕の妻もこの前ここで無痛で産んでね〜」と話してくれて、安心してまた泣いた。

施術中の感覚については前述①の通りなのだが、冷たい液体が背中を流れるような感覚の直後、私のメンタルとフィジカルをボロボロに蝕んでいた"痛み"がスーっと引いていった時の、あの湧き出る”感謝”の気持ちを一生忘れないだろう。施術があまりに無痛だったので「何を恐れていたんだろう!案ずるより産むが易し、ってな!!」とまだ産んでもないのに思った。

そして麻酔のおかげで一眠りできたのだが(陣痛中寝れるのすごい)、その後は”効き”がまばらになり、左半身だけめちゃくちゃ痛い状態になったりして、カテーテルを入れ直したりしてもらったもののあまり効果がなく、子宮口全開になるまではそれなりに苦しんだように思う。吐いたりしたので。

ただ、いざ分娩!という時にはほとんど痛みはなかった。

隣の分娩室から「もうむりいいいいいい!!!!はやくううううううう!!!ああああああああ」と叫ぶ声が聞こえてきて(このとき院内で無痛なのは私だけだった)、私も今からこうなるのか?とビビったけど結局それから最後まで強い痛みはこなかった。

おしりにはさまったものをいきんで出したいような、便意に近いような感覚はあった。お腹の張りを示すモニターを見ながら、助産師さんの合図に合わせて冷静にいきんでいた。(助「はいもう一回〜」私『ハイ!ん〜〜〜〜〜っ、、あ、もう一回行けそうです。』「お、行ける〜?」みたいな)

さすがに、産まれる!って時は夢中でいきんで「出てきて!!」と叫んでいた。(たぶんアドレナリンがめっちゃ出ていた)
そして出てきてくれた時のあの感覚。海のようなにおい、ぬるっとして生あたたかい感触、赤紫の肌の色、むくんだような顔、かよわい四肢、ふぎゃあと出た産声、それらを受けての安堵感幸福感不安感疲労感その他……とにかく、痛みがなくてももちろん出産はエモーショナルで、一生忘れられない風景だった。

実はこの直後、子供は羊水混濁でNICUに入り(結果特に問題なかった)、私もそれが心配すぎて気分が悪くなってきたなと思ったら出血多量で(牛乳パックくらい)意識を失いかけた。勝手に安産型と思っていた自分だったが残念ながら「超安産でしたチャンチャン」とはならなかった。医療が発達した世界に生きていなければ命を落としていたかもしれない。無痛分娩=楽な分娩というわけではないのは当たり前だが、いつだって出産は命がけだということを身を以て知ってしまった。

(これを読む方の中にもいるかもしれないのだが、羊水混濁と私の大量出血を無痛分娩と因果関係があるように捉える人もいる。そんなことはないと言いたいところだが絶対違うとも私には言い切れない。ただ、因果関係がないとは言えないことと同等に、因果関係があるとも言えないだろう。調べれば何かデータは出てくるのかもしれないけどこれに関して今はまだ何か知りたい気持ちにはなれていない。気になる方がいたらすみません。)
(ただ、麻酔を入れず痛みで眠れないまま出産まで2日かかっていたとしたら無事でいられた気はしない、というのが私の感覚です。)

--

出産から一年経ったが、私は無痛を選んでよかったと今でも思う。そもそもなぜ無痛分娩にしたのかとか、無痛分娩がなかなか普及しない世の中に対して考えることなんかもあるけれど、長くなるのでとりあえず自分の出産を振り返るだけにしておこうと思う。

(ひとつだけ、分娩に異常があったからといって産後に『無痛にしたからじゃない?』『やっぱり怖いよね』と言う人がいるのは辛い。痛みを取り除いたことを後ろめたく思わせないでほしい。手術で後遺症がある人に「麻酔したからじゃない?」とは言わないだろう。)

より自然な分娩を望む人、より痛みの少ない分娩を望む人、いろいろな母親の希望が尊重される世の中になりますように。